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2009年03月10日

絶対的な評価は無い

学校などでの中間試験、期末試験、受験、資格試験、就職試験など私たちの生活に密着している試験という仕組みなんですが、この試験というのは人間の生活の中でどのような影響をおよぼすものなのでしょうか。

私は学校での試験はそこそこできた方でした。ただ、塾などにもあまり通ったことがなかったのでテクニック的なことも教えてもらったことはありません。教科書などをまるまる暗記するなどの記憶力もありません。なんとなく、あの先生だったら次はこの辺りを試験に出すのではないだろうかと考えながら最小限の労力で試験にのぞんでいたような気がします。ヤマをはるという感覚とは違います。試験問題も人がつくったので、その人の気持ちになるとどのような試験問題をつくるのだろうかというのを自然に考えていました。両親が学校の先生だったというのも影響しているのかもしれません。

ただ、この学生時代の試験への取り組み姿勢はビジネスの世界では非常に役に立っています。ビジネスの世界に正解は無く、相手と自分の間に納得解があるだけであるというのは学生時代の試験への取り組み姿勢とあまりかわっていません。

両親が学校の先生だったということで、学校の先生になることが自然だと高校くらいまでは思っていましたので、数学の先生になるための大学を選択しました。偏差値が高い大学に興味が無かったかというと嘘になりますが、職業を選択するための学校選択なので特に学歴が欲しいというものもありませんでした。

今の「お受験」などを見ていると、偏差値が少しでも高い大学に入って自分の子供の価値を少しでも高く見せたいというような感覚で見てしまいます。たしかに優れた教育を受けるということは素晴らしいことなんですが、中身の成長よりも学歴などを偏重してしまうと変なことになってしまいます。

まだ小学生や中学生なのに「お受験」に失敗などしてしまうと、その時点で自分をダメな人間と思ってしまったり、逆に勘違いして抽選のような試験に合格しただけでも自分は立派な人間だと思ってしまうこともあります。



試験の前と後で人間が大きく変わることはないのですが、合格すると自分は立派な人間と勘違いして、不合格になると自分はダメな人間と思う、試験というのは非常に罪つくりな制度です。

正解を導き出すテクニックが優れているだけでは、お客さまも含めて周囲との人間関係を築いて納得解を導き出すビジネスの世界では通用しないことがあります。当然、本当に優秀な人間は納得解を導き出すプロセスの理解も優れているので仕事を覚えるのも早いのですが、単純に学校の勉強において正解を導き出すのが得意だっただけでは社会に出てから苦労します。

就職できるかどうかというのは需要と供給の関係で時代背景もあります。

<参考:ポスドクの就職難>
http://blogs.yahoo.co.jp/kqsmr859/23128536.html

大学には研究開発分野においては非常に優秀な人材がたくさんいらっしゃいます。
その方々が活躍できる場はたしかに少なくなったのでしょう。
派遣の方々が活躍できる場が景気の減退によって急速に縮小したのと一緒で、研究開発に従事できる場というのも縮小していっているのだと思います。研究開発部門を縮小するということは企業の将来まで危うくするものかもしれませんが、インターネットで情報が大量に流通する時代になり、技術・企業の売買も活発化する時代に研究開発を内製化するという選択をする企業などが減ってきたという背景もあるかもしれません。

ただ、大学などで研究開発などをポスドクになるくらいまで行ってきた方々を営業の現場や組織マネジメント部門などに配置するということには資質的な部分で否定的な企業が多いのは事実です。

学校の勉強が優秀だったので社会に出てからも活躍できるかどうかということについては関係性は少なく、逆に自分の学歴や試験が得意だったことが足カセになってしまっている人も意外と多いように感じています。

資格を取ったり、ブランド力がある企業に就職できたりすると、自分が偉くなったように感じてしまう。

このような意識が、名刺などに資格名を大量に記したり、自己紹介なのか会社紹介なのかわからない自己紹介になったりするのではないかと思います。

資格を取得したら、その専門性をつかって仕事の結果で評価される、よい会社に就職したら、その会社のチャレンジングな事業領域で自分の能力を開花させるために死ぬほど努力する。

試験に合格するのがゴールではなく、試験に合格するところからすべてがスタートするということを忘れてはいけないと、就職活動をおこなっている学生などには話をします。

日本の大学受験などが、合格するとその学歴で人生を生き抜けるような錯覚をつくっているようですが、少なくとも就職活動でどの会社の入社試験にパスできたから自分はアガリのようなことはないでしょう。

「森戸さん、新卒でしか入れない会社ってあるじゃないですか」

などのことを学生から言われることがありますが、

う~ん、そんな社則がある会社って知らないんですが・・・

社会人になって本気で努力して仕事ができる人間になれば、専門性をいかしてどの会社にも入りこむことはできますし、就職しなくてもコンサルタントやパートナーとして一緒のプロジェクトに参画することは簡単にできます。

その会社の所属して安定した生活が送りたいだけ、または単に名刺が欲しかったのであれば、私の考え方は通用しないのかもしれません。

ただ、名刺欲しいだけだったら、キンコーズで作ればいいのでは?(笑)

などと、言ってしまうと、また学生は凹むんだろうな。  

Posted by 森戸裕一 at 04:50Comments(0)就職観