2008年03月23日

私が新入社員だったころ

今日は「ふくおか経革広場」からのお題の「私が新入社員だったころ」ということで書きたいと思います。

私が新入社員だったころ

私が社会人になったのは1990年でバブル景気の終わりのころになります。
学校(数学)の先生になる勉強を大学では行っていましたが、これからはコンピュータが社会的な経済基盤になるという思いもあり、富士通のシステム開発会社に入社しました。

この会社は非常に日本的な会社で、運動会、球技大会、全社での社員旅行などもありました。
新入社員の時から、仕事が終われば先輩社員の方々と、ほぼ毎日、飲みに行き、仕事の取り組みへの考え方、職場の人間関係、会社のビジョンいろいろなことを教えてもらいました。新入社員ながら毎日飲みに行き、その飲み代はほとんど割り勘という状況だったので自由になるお金はほとんど無いという状況の新入社員時代だったのを覚えています。

ただ、その投資(?)のおかげで会社の中のほとんどの社員の方々がどのような仕事をしていて、逆にこちらの顔も覚えてもらうことができ、その後にいろいろな仕事を行う時に部署を超えて様々な協力を得ることができました。

当時の会社の上司は造船業出身の方々が多く、製造業出身の方々特有の商品やサービスの品質管理などの面で非常に厳しい指導を受けていた印象があります。

その中で、私が入社当時システム本部長だった柴田善次郎 社長(前社長)からは、
「何かやると批判はされるけど、何もやらないと批判すらされない」
と不可能と思えることにでもチャレンジすることの大切さを教えてもらいました。

チャレンジして失敗すると当然叱られるのですが、その叱られることで成長するのだから、それは甘んじて受けないといけないということを徹底して教えられました。

また、柴田社長からは、人の名前を書き間違ったときに厳しく叱られました。
「その人に心の底から信頼して欲しいと思っているのであれば、名前(漢字)を間違うはずがない」
「人の名前(漢字)と会社の名前はビジネスにおいて一番重要な要素で、人の思いが名前になっている。だから大切に扱え」
その記憶は、今でも鮮明に残っています。

非常に男気のある社長で、退任された後も何度かお食事を一緒にさせていただいています。


入社して4年目くらいに海外ビジネスの全社窓口をしていた時期がありますが、その時に本当に私の仕事観が変わるくらい厳しい指導をしていただいたのは、井上和 取締役(前常務)です。
本当に厳しい方でした。(一度も誉められた記憶がありません(笑))
平日は取締役としての仕事をして、平日の残業時間と休日は現役のエンジニアとしてCADの標準化に関するの国際レベルの仕事をこなされていました。全社で一番労働時間が長かったのは井上取締役だったと思います。

努力は必ず報われるとは限らない
ただ、ある一定の成功をしている人は人が見ていないところで死ぬほど努力をしている

私が退職した後にマイクロソフト社のパートナー総会などで何度かお会いしましたが、その時でも緊張してしまう方でした。(私はあまり人とお会いして緊張することないのですが井上取締役は別格です)

アジア(中国、韓国など)向けの出版ビジネスなどの契約や海外の企業との業務提携などの企画などの窓口をやっている中で、
「何をもって大丈夫と言っているのか?自分で勝手に判断して中途半端な仕事をやっているうちは素人だ。おまえはどれだけ努力したんだ」
と、プロフェッショナルと呼ばれる人間の仕事について徹底的に教えられました。

「俺とおまえの間で納得できても、それは世界レベルで皆が納得できることなのか?」
「おまえはどれだけ調べたのか?人に聞きましたくらいの調査じゃ足りない。なぜ、現地(海外)に行って調べようとしなかった?与えた時間のぎりぎりまで必死に考えたのか?」

1年くらいの間、井上取締役と2人だけの海外ビジネス推進プロジェクトを経験しましたが、プロジェクトが終わってストレス性内臓疾患で2ケ月入院してしまうほど過酷な経験をしました。
ただ、世界を相手に勝負している技術者の仕事に対しての取り組み方は、本当に尊敬できました。


学生や若い社会人の方々に、成功に近道は無い という話をすることがありますが、新入社員のころからの過酷な経験があって今の自分があると思っているので、やはり簡単に情報を得て、自分が出来るような気になっている若い人たちを見ると、違和感を感じてしまいます。

プロフェッショナルと呼ばれたいのであれば、死ぬほど努力しないといけない

しかし、その努力は自分なりの努力ではなく、周囲の人は絶対にできないくらいの努力でないと人に影響を与えるような仕事はできない。それくらい仕事というのは厳しい。落ち込んでいる暇は無い、いろいろとマイナスなことを考える時間があるのであれば、とりあえず前に進めということを徹底的に教えられました。今もその精神は生きています。

プロフェッショナルと呼ばれる人材は、1%の才能と99%の努力で作られる。

ということを、身をもって前職時代の上司や先輩方には教えていただきました。

普通の人は「できない」と思うようなことにチャレンジする
仕事というのは、誰しもが「なんともならない」と思うようなことを「なんとかする」から価値がある

今、当社が目指そうとしていることは、すべて前職時代に教えてもらいました。

一流の人材を育てようと思うと簡単に一人前扱いをすることはマイナスにしかならない
プレッシャーをかけることで真剣に自分で考えるようになる

その人材の耐性も考えて扱う必要がありますが、将来、大きなことを成し遂げようと考えている人材、その人の存在が社会的に価値を創りだす可能性がある人材には、そのように接しています。

自分は、ほどほどの人生でいい
身の丈にあった会社生活でいい

という人には厳しく感じられてしまうようです。

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Posted by 森戸裕一 at 12:48│Comments(0)人材育成
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