2008年09月15日
どこまで教えてあげるか?
上杉鷹山の
「してみせて 言って聞かせて させてみる」
「なせば成る なさねは成らぬ 何事も 成らぬは人の なさぬなりけり」
という言葉や、
山本五十六の
「やってみせ 言って聞かせて させて見せ ほめてやらねば 人は動かじ」
「話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず」
「やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず」
などの言葉や、
男の修業と呼ばれる、
「苦しいこともあるだろう 言い度いこともあるだろう 不満なこともあるだろう 腹の立つこともあるだろう 泣き度いこともあるだろう これらをじっとこらえてゆくのが 男の修行である」
などの言葉は、人を育てるときに語られる言葉ですが、実際に職場などで人を育てるというのは大変な労力と忍耐力が必要になります。
昔は育てられる側は情報をあまり持っていないという前提があったので、「がむしゃら」に頑張る姿勢が見えましたが、最近では変に育てられる方も情報を持っているので素直に上司や先輩の助言を聞くことができません。
人を育てるという作業は本当に忍耐力が必要な作業になってきました。
人は変に情報を持っていると、周囲からの情報を素直に聞けなくなります。
面倒ですが、育てられる側が持っている情報を用いて自分の思うとおりに仕事をやらせてみて、それだけでは成果につながらないということを実感させるというひと手間をかけないといけない時代にもなっています。
してみせて、言って聞かせて させてみて
ということでシミュレーションしてみると、
してみせて ⇒ 自分もできると思っているので見ていない
言って聞かせて ⇒ 自分もできると思っているので素直に聞いていない
させてみる ⇒ 実際にやってみるとできないので凹む
そして、小さなプライドを傷つけられたような状況になって、自分の殻に閉じこもるという場面をよく見ます。
政治の世界でも経済界、芸能・スポーツの世界でも、日本から大物がいなくなったと言われています。
日曜日の朝にTBSで放映されている「サンデーモーニング」の「風を読む」としうコーナーで、
昔に比べて日本には大物がいなくなった
という話をやっていました。
昭和の戦後復興期には、政治家としては吉田茂や田中角栄などの政治家、経済界には松下幸之助や本田宗一郎、芸能の政界では、石原裕次郎、美空ひばり、スポーツの世界では長嶋茂雄、王貞治、大鵬、力道山などがそれぞれの世界での大物として国民のリーダーとして活躍していたのではないかと思います。
そのような大物と呼ばれる人たちと比べて、今のリーダーは器が小さくなっているという論調だったように思います。
時代背景が違うので何とも言えませんが、この人の器の定義が難しいように感じました。
高度経済成長に活躍してきた団塊の世代の方々の組織における指導力不足などによるリストラなどの現場に立ち会ってきた人間としては、少ない情報の中でこれさえやれば大丈夫という正解があった時代に生きてきた人が、情報化社会の中で多様化した時代の中に正解を見出すことができずに時代に適合できずに苦しんでいるという状況と似たような感覚を持ちました。
リーダー不在の政治の世界や偽装問題ばかりがクローズアップされている経済界などはさておき、スポーツの世界などでは昔と比較しても活動の場を広げた選手が世界を相手に大活躍しています。
欧州サッカーの世界で活躍した中田英寿や中村俊介、メジャーリーグで活躍しているイチローなどは昔の選手と比べても大きな成功を収めていますし、先日のオリンピックなどでの北島康介の活躍はもっと称賛されてもよいのではないかと思います。
ただ、今の時代は情報が溢れていますのでニュースが生まれても、そのニュースの鮮度はすぐに薄まってしまいます。
そして、国民の嗜好性なども多様化していますので、野球や相撲、プロレスが中心の戦後とは違って、サッカーやバスケット、格闘技もK-1など様々な分野が出てきています。
その中で万人の認められる大物が出てくるというのは難しいのではないかと思います。
同時に、この情報化社会で世界を相手に活躍している日本人の特性を分析すると大きなヒントもあるように感じます。
セルフマネジメント能力
情報過多の時代に必要となる、
自分創り能力
について、様々な見地から考えています。
若い人たちが言う、「自分探し」という無責任な考え方とは違います。
自分を社会でどのように活かしていくのかということを徹底的に考えて、その社会で役に立つ人間になるということに覚悟を持った精神的な大人が情報化時代では活躍できるのではないかと思っています。
社会に出る前の学生などには、社会に役に立つ人間になるという覚悟を決めさせる指導をしています。
将来に漠然とした不安があるのであれば、それは自分で克服するしかありません。
ずっと周囲に頼って育ってきた学生には社会に出る覚悟を決めさせて就職活動させないと、大手企業や金融機関、公務員など社会的に安定したコミュニティに属するという甘えた考えだけで動いてしまいます。その考えは高偏差値の大学に行って名前が知れた企業に入れば幸せになれるという今の子供の親世代から押しつけられた考えから来ているのですが、そのような考えで選ばれた企業・組織はそのシュガー社員(※)によって蝕まれてしまいます。
(※:シュガー社員(しゅがーしゃいん)は、主に若者を中心とする、社会人としての自覚やモラルなどの欠ける者をさす言葉。名付け親は社会保険労務士の田北百樹子で、『シュガー社員が会社を溶かす』(ブックマン社)が初出。 from Wikipedia)
逆に、社会に役立つ人間になるという覚悟ができれば、どのような仕事についても、その分野でのプロフェッショナルになることができます。
「してみせて 言って聞かせて させてみる」
「なせば成る なさねは成らぬ 何事も 成らぬは人の なさぬなりけり」
という言葉や、
山本五十六の
「やってみせ 言って聞かせて させて見せ ほめてやらねば 人は動かじ」
「話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず」
「やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず」
などの言葉や、
男の修業と呼ばれる、
「苦しいこともあるだろう 言い度いこともあるだろう 不満なこともあるだろう 腹の立つこともあるだろう 泣き度いこともあるだろう これらをじっとこらえてゆくのが 男の修行である」
などの言葉は、人を育てるときに語られる言葉ですが、実際に職場などで人を育てるというのは大変な労力と忍耐力が必要になります。
昔は育てられる側は情報をあまり持っていないという前提があったので、「がむしゃら」に頑張る姿勢が見えましたが、最近では変に育てられる方も情報を持っているので素直に上司や先輩の助言を聞くことができません。
人を育てるという作業は本当に忍耐力が必要な作業になってきました。
人は変に情報を持っていると、周囲からの情報を素直に聞けなくなります。
面倒ですが、育てられる側が持っている情報を用いて自分の思うとおりに仕事をやらせてみて、それだけでは成果につながらないということを実感させるというひと手間をかけないといけない時代にもなっています。
してみせて、言って聞かせて させてみて
ということでシミュレーションしてみると、
してみせて ⇒ 自分もできると思っているので見ていない
言って聞かせて ⇒ 自分もできると思っているので素直に聞いていない
させてみる ⇒ 実際にやってみるとできないので凹む
そして、小さなプライドを傷つけられたような状況になって、自分の殻に閉じこもるという場面をよく見ます。
政治の世界でも経済界、芸能・スポーツの世界でも、日本から大物がいなくなったと言われています。
日曜日の朝にTBSで放映されている「サンデーモーニング」の「風を読む」としうコーナーで、
昔に比べて日本には大物がいなくなった
という話をやっていました。
昭和の戦後復興期には、政治家としては吉田茂や田中角栄などの政治家、経済界には松下幸之助や本田宗一郎、芸能の政界では、石原裕次郎、美空ひばり、スポーツの世界では長嶋茂雄、王貞治、大鵬、力道山などがそれぞれの世界での大物として国民のリーダーとして活躍していたのではないかと思います。
そのような大物と呼ばれる人たちと比べて、今のリーダーは器が小さくなっているという論調だったように思います。
時代背景が違うので何とも言えませんが、この人の器の定義が難しいように感じました。
高度経済成長に活躍してきた団塊の世代の方々の組織における指導力不足などによるリストラなどの現場に立ち会ってきた人間としては、少ない情報の中でこれさえやれば大丈夫という正解があった時代に生きてきた人が、情報化社会の中で多様化した時代の中に正解を見出すことができずに時代に適合できずに苦しんでいるという状況と似たような感覚を持ちました。
リーダー不在の政治の世界や偽装問題ばかりがクローズアップされている経済界などはさておき、スポーツの世界などでは昔と比較しても活動の場を広げた選手が世界を相手に大活躍しています。
欧州サッカーの世界で活躍した中田英寿や中村俊介、メジャーリーグで活躍しているイチローなどは昔の選手と比べても大きな成功を収めていますし、先日のオリンピックなどでの北島康介の活躍はもっと称賛されてもよいのではないかと思います。
ただ、今の時代は情報が溢れていますのでニュースが生まれても、そのニュースの鮮度はすぐに薄まってしまいます。
そして、国民の嗜好性なども多様化していますので、野球や相撲、プロレスが中心の戦後とは違って、サッカーやバスケット、格闘技もK-1など様々な分野が出てきています。
その中で万人の認められる大物が出てくるというのは難しいのではないかと思います。
同時に、この情報化社会で世界を相手に活躍している日本人の特性を分析すると大きなヒントもあるように感じます。
セルフマネジメント能力
情報過多の時代に必要となる、
自分創り能力
について、様々な見地から考えています。
若い人たちが言う、「自分探し」という無責任な考え方とは違います。
自分を社会でどのように活かしていくのかということを徹底的に考えて、その社会で役に立つ人間になるということに覚悟を持った精神的な大人が情報化時代では活躍できるのではないかと思っています。
社会に出る前の学生などには、社会に役に立つ人間になるという覚悟を決めさせる指導をしています。
将来に漠然とした不安があるのであれば、それは自分で克服するしかありません。
ずっと周囲に頼って育ってきた学生には社会に出る覚悟を決めさせて就職活動させないと、大手企業や金融機関、公務員など社会的に安定したコミュニティに属するという甘えた考えだけで動いてしまいます。その考えは高偏差値の大学に行って名前が知れた企業に入れば幸せになれるという今の子供の親世代から押しつけられた考えから来ているのですが、そのような考えで選ばれた企業・組織はそのシュガー社員(※)によって蝕まれてしまいます。
(※:シュガー社員(しゅがーしゃいん)は、主に若者を中心とする、社会人としての自覚やモラルなどの欠ける者をさす言葉。名付け親は社会保険労務士の田北百樹子で、『シュガー社員が会社を溶かす』(ブックマン社)が初出。 from Wikipedia)
逆に、社会に役立つ人間になるという覚悟ができれば、どのような仕事についても、その分野でのプロフェッショナルになることができます。