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2009年10月07日

情報を共有するという意味

社内でどこまでの情報を社員に公開するのか?どこまでの情報を共有するのか?

というのは非常に難しい問題です。


どんな小さな会社でも部門が違えばどのような仕事をしているのかということが見えないようになりますし、実際にその部門の社員がどのような気持ちで仕事をしているのかということがわからなくなります。

営業部門と制作部門、製造部門

の間がギクシャクしてくるのも、お互いに頑張っているのですが、相手の頑張りが見えないのでついつい「自分は頑張っているのに・・・」という感覚が出てしまいます。

そのような空気を払しょくするために、お互いの頑張りが見えるようにするために情報共有などもしていきます。

その他にも、

情報を共有すると無駄が無くなり効率が良くなる、情報を見て学ぶことができる、イメージが湧く

などのことが言われますが、

どれくらいの情報量をどのレベルの社員が見る必要があるのか?

などの定義をきちんとしておかないと、情報処理力などには当然、個人差がありますので情報量が個人の処理能力を超えると必要な情報を見なくなったり、仕事の目的などを見誤ることもあります。


先日、某研修を受講しているときに「明確性」という個人特性を裏付ける過去の自分の行動というものを振り返る演習がありました。

私は社会人3年目くらいから会社の中長期の事業計画、年度目標、部門単位などでの行動指針などの決定プロセスを明確にして欲しいということで役員会の議事録や部長会議事録の開示を当時の上司にお願いしていました。

自分の目の前の仕事がどのような成果目標につながっているのか?

ということが、はっきりとしないと集中できない、それから仕事に付加価値をつけることができないと考えていました。

だから情報が欲しかったんです。

当時の上司からすると、そのような社内文書の回覧は管理職だけという状況だったので「変なことを言う社員だな」という感覚だったと思います。

情報からイメージする自分に課せられた期待
情報からイメージする自分に任せられた仕事の意味

というものが仕事のモチベーションになっていました。


これは情報が足りなかったから自分の中から生まれてきた欲求だと思います。

それから社内でも電子メールの導入、イントラネットやグループウェアの導入などがすすみ、情報は自分で検索して見ることができるようになったので自分の力を発揮しやすい環境になりました。




しかし、今のオフィスというのはこのような環境はあたりまえになっていますので、情報が流れてくるのもあたりまえ、検索して情報を検索できるのもあたりまえという状態です。



このような環境が普通と思って働きだした社員は、情報が欲しいと思うのでしょうか?


電子メールの量が多すぎて仕事にならない

などの声も聞きます。


自分で仕事の優先順位や自分の仕事と他のメンバーの仕事の関係性、職場全体の仕事に対しての興味などがあれば職場での電子メールの処理などは苦痛にはなりません。

しかし、視野が狭い場合、自分の興味で動いている場合には一見、自分に関係ないように見える電子メールや情報はノイズにしか見えないのかもしれません。


仕事ができる、できない

という定義に情報の処理能力というのは大きなウエイトを持ち始めています。



  

Posted by 森戸裕一 at 09:51Comments(0)ビジネススキル