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2010年04月26日

芸術は可能か?

先日、六本木ヒルズの森美術館で開催されている

六本木クロッシング 2010展:芸術は可能か?
http://www.mori.art.museum/contents/roppongix2010/index.html

という展示会に行ってきました。


展示会場の壁面に、

***
芸術とは目に見えるものを描くのではなく、目に見えるようにすることだ。(パウル・クレー)

芸術に関することで自明なことは、もはや何一つないことが自明になった。
芸術のうちにおいても、芸術と全体との関係においても、もはや何一つ自明でないばかりか、芸術の生存権すらも自明ではないことが。(テオドール・W・アドルノ)

空の美しさにかなうアートなんてあるのだろうか。
私はただ私でありたい、と思って暮らしてきただけだ。
その私であるということが、そんなに怒りをうけるのだったら、人間社会はこわい、と思う。(オノ・ヨーコ)

今日の芸術は、うまくあってはいけない。きれいであってはならない。ここちよくあってはならない。(岡本太郎)

絵画の価値を計る指標はただ一つ、それは競売場である。(ピエール=オーギュスト・ルノワール)

美的価値は自律した価値ではなく、社会的価値である。(ハンス・アビング)

芸術家は一人では創造行為を完遂しない。(マルセル・デュシャン)

芸術は理解されるために存在するのではない。(ヨーゼフ・ボイス)

芸術は可能か?(古橋悌二)

芸術はいかなる時代においても、美的要請のみに応えてきたわけではない。(ヴァルター・ベンヤミン)

芸術は人間の全運動を先取りする。(トニ・ネグリ)

ただ独り自己の創造の道を歩むというのが創造的芸術家の運命である。(高階秀爾)

何があっても作品を作り続けたいなら、お金を儲けて生き残らなくてはならないのです。
芸術家も一般社会を知るべきです。(村上隆)

「アーティストは政治的、社会的な発言をするべきではない」という意見もよく聞かれます。
しかしこれは、「アーティストを飼いならすために、マーケットによって生み出された詭弁である」と私は考えています。(宮島達男)

芸術の価値というのは商品のように定量化できない。
芸術は商品とは違う形で価値を創る。そのことでは「愛」もまた芸術に類似している。(赤瀬川原平)

社会とアートは、お互いを映し合う鏡のように存在し続けるでしょう。(やなぎみわ)

芸術を首尾一貫した姿で展示しようとする美術館の要求が、現代の-ポストモダニズムの-芸術実践によってすでに疑問に付されている。(ダグラス・クリンプ)

いま何が起こりつつあるかを知りたいのなら、芸術は政治よりも正確な指針となる。(ウィンダム・ルイス)

恐怖は芸術創造の原因であり、芸術は自由を得るための手段だ。(イリア・カバコフ)

芸術が未来に向かって構築されていく性質を内包する以上、その成果もまた未来が到達しない限り確認することはできない。
果たしてそのような在り方に、いまの日本の行政システムが耐えきれるのかが問われるのだ。(平田オリザ)

芸術家は創造にだけ携わるのではない。破壊にも携わるのだ。(三島由紀夫)

***


という芸術に関する名言が書かれていました。

個人的には、

村上隆さんの、

『何があっても作品を作り続けたいなら、お金を儲けて生き残らなくてはならないのです。芸術家も一般社会を知るべきです。』

というのが、私の今の考え方に近いのですが、これでは芸術とは?という更に深い概念に入りそうでした。

上記の名言は、私は会場で書きとめられなかったので、KJRゼミ手帖さんのブログ(http://kjr09zemiiiiis.blog84.fc2.com/blog-entry-40.html)から、転記させていただきました。



芸術とビジネス

今からの生き方にもかかわっていくようなテーマで考えさせれらました。

おすすめの展示会です。



  

Posted by 森戸裕一 at 13:16Comments(0)雑感