2008年11月30日
裁判員って誰でもなれる職業か?
裁判員の制度改革で、民間人にも裁判員になってもらうという制度が来年から始まりますが、いろいろと問題も起きているようです。
「裁判員通知が来た」と自分のブログなどに書き込む人も多いようです。
裁判員法では、裁判員候補者の氏名などの個人情報を公開することを禁じていますが、いきなり自分の家に通知書が届いたらやはり書いてしまうのでしょうね。それくらい自分のブログが公の場に公開されているという意識が薄いのかもしれません。
今回の裁判員の制度改革は非常に微妙な部分はあると私は考えています。
裁判員という専門性の高いと考えられる職業を一般の人たちすべてに解放するようにも見える改革の中で、その制度改革を聞いた普通の人たちの感想は、自分の専門性に疑問を感じ「不安に感じる」というのが正直なところではないかと思います。その中で「面白そうだからやってみたい」という感想があると、ちょっとゾッとします。
凶悪犯罪などの裁判員をすることが面白いのだろうか?
もし、自分が冤罪でその裁判の被告席に座っていたら「面白そう」という感じで来ている裁判員に何を話せば冤罪って信じてもらえるのだろうか?と感じてしまいます。
人を裁く裁判員にしろ、人を助ける医者にしろ、人を育てる先生にしろ、専門性と倫理観があるので社会から職業として任せられているのではないかという部分が根底から崩れそうな気がしています。
医者が足りないので一般公募します。
学校が崩壊していますので先生もすべて入れ替えます。
それじゃあ、もっと変なことになるのではないかと感じてしまいます。
昔、裁判員の方々に研修を行ったことがありますが、さすがに研修途中であきらかに眠くなると思えるシチュエーションでもたんたんと講義を受けていらっしゃったのを思い出します。裁判中に一般裁判員が居眠りしていたら・・・という心配までしてしまいます。
裁判官から裁判員が被告の前で態度を注意されるということが無ければいいですが・・・
やはり職業には特性があって、その職業は聖職だというのは残さないといけないと思います。その聖職についた人は自分の仕事にプライドを持ってその仕事に人生をささげるというのが普通と思います。
一時的にその仕事をという性質のものではないようにも感じますが、今回の裁判員の制度改革が公平性を保つための制度改革としてきちんと確立することを願います。
それと同じではないのですが、経営者という仕事も倫理性を問われるということが言われます。昨今の偽装問題もそうですが、自分の事業を失敗したら利害関係者(ステークホルダー)に大きな迷惑をかけてしまうという仕事です。その分、成果を出した場合の報酬は大きいのかもしれませんが、人の人生まで背負い込むという仕事のストレスは並大抵のものではありません。
金さえあれば人の心も買える
ということが本当かどうかという議論が一時期なされていましたが、時と場合にもよるのではないかと私は思っています。食うに困っている状態の人に対して金を見せるのと、普通の生活ができている人に金を見せて自分の思う通りに動かそうとは全然違いますので「金さえあれば・・・」というのはすべてが正しくはないですが、そういう場合もありますというくらいの話でしょうか。
それと同じように金があれば幸せになれる
ということで経営者を目指す人もいます。
ただ、ニューヨークなどのメガリッチと呼ばれる人たちの多くが心療内科などで週に2回ほどカウンセリングを受けているのを見ればわかりますように、莫大なお金を手に入れるとそれはそれで大きな心労を背負い込むことになります。
経営者になる資質は?
と聞かれることもありますが、強い倫理観と使命感を持っているということは当たり前ですが、それと同時に精神的にタフでないと経営者が精神的に落ちてしまうということでは社員も困ってしまいます。精神的な病気というのは誰しもなる可能性はありますし、そういう状態になったということであれば、その人が回復するために周囲は協力しないといけないのですが、経営者というのは、そのように状態にもならないように心身を鍛えると共に管理しておかないといけないということになると思います。
経営者になっている人たちとお付き合いすると、やはりビジネスの場でも付き合いの場でもタフな人が多いです。
そのような人が経営者という仕事につくようにできているのだなと感じます。
登記をすれば誰でも経営者になれます。
ただ、このような不況下でも笑っていられるような精神力とその裏側で血が滲むような努力をしている経営者が日本を支えているのではないかとも思っています。
今週末は経営者向けの講演です。
この不況下だからこそ、人間力がある経営者が踏ん張る時期だ!ということを話してきたいと思っています。
「裁判員通知が来た」と自分のブログなどに書き込む人も多いようです。
裁判員法では、裁判員候補者の氏名などの個人情報を公開することを禁じていますが、いきなり自分の家に通知書が届いたらやはり書いてしまうのでしょうね。それくらい自分のブログが公の場に公開されているという意識が薄いのかもしれません。
今回の裁判員の制度改革は非常に微妙な部分はあると私は考えています。
裁判員という専門性の高いと考えられる職業を一般の人たちすべてに解放するようにも見える改革の中で、その制度改革を聞いた普通の人たちの感想は、自分の専門性に疑問を感じ「不安に感じる」というのが正直なところではないかと思います。その中で「面白そうだからやってみたい」という感想があると、ちょっとゾッとします。
凶悪犯罪などの裁判員をすることが面白いのだろうか?
もし、自分が冤罪でその裁判の被告席に座っていたら「面白そう」という感じで来ている裁判員に何を話せば冤罪って信じてもらえるのだろうか?と感じてしまいます。
人を裁く裁判員にしろ、人を助ける医者にしろ、人を育てる先生にしろ、専門性と倫理観があるので社会から職業として任せられているのではないかという部分が根底から崩れそうな気がしています。
医者が足りないので一般公募します。
学校が崩壊していますので先生もすべて入れ替えます。
それじゃあ、もっと変なことになるのではないかと感じてしまいます。
昔、裁判員の方々に研修を行ったことがありますが、さすがに研修途中であきらかに眠くなると思えるシチュエーションでもたんたんと講義を受けていらっしゃったのを思い出します。裁判中に一般裁判員が居眠りしていたら・・・という心配までしてしまいます。
裁判官から裁判員が被告の前で態度を注意されるということが無ければいいですが・・・
やはり職業には特性があって、その職業は聖職だというのは残さないといけないと思います。その聖職についた人は自分の仕事にプライドを持ってその仕事に人生をささげるというのが普通と思います。
一時的にその仕事をという性質のものではないようにも感じますが、今回の裁判員の制度改革が公平性を保つための制度改革としてきちんと確立することを願います。
それと同じではないのですが、経営者という仕事も倫理性を問われるということが言われます。昨今の偽装問題もそうですが、自分の事業を失敗したら利害関係者(ステークホルダー)に大きな迷惑をかけてしまうという仕事です。その分、成果を出した場合の報酬は大きいのかもしれませんが、人の人生まで背負い込むという仕事のストレスは並大抵のものではありません。
金さえあれば人の心も買える
ということが本当かどうかという議論が一時期なされていましたが、時と場合にもよるのではないかと私は思っています。食うに困っている状態の人に対して金を見せるのと、普通の生活ができている人に金を見せて自分の思う通りに動かそうとは全然違いますので「金さえあれば・・・」というのはすべてが正しくはないですが、そういう場合もありますというくらいの話でしょうか。
それと同じように金があれば幸せになれる
ということで経営者を目指す人もいます。
ただ、ニューヨークなどのメガリッチと呼ばれる人たちの多くが心療内科などで週に2回ほどカウンセリングを受けているのを見ればわかりますように、莫大なお金を手に入れるとそれはそれで大きな心労を背負い込むことになります。
経営者になる資質は?
と聞かれることもありますが、強い倫理観と使命感を持っているということは当たり前ですが、それと同時に精神的にタフでないと経営者が精神的に落ちてしまうということでは社員も困ってしまいます。精神的な病気というのは誰しもなる可能性はありますし、そういう状態になったということであれば、その人が回復するために周囲は協力しないといけないのですが、経営者というのは、そのように状態にもならないように心身を鍛えると共に管理しておかないといけないということになると思います。
経営者になっている人たちとお付き合いすると、やはりビジネスの場でも付き合いの場でもタフな人が多いです。
そのような人が経営者という仕事につくようにできているのだなと感じます。
登記をすれば誰でも経営者になれます。
ただ、このような不況下でも笑っていられるような精神力とその裏側で血が滲むような努力をしている経営者が日本を支えているのではないかとも思っています。
今週末は経営者向けの講演です。
この不況下だからこそ、人間力がある経営者が踏ん張る時期だ!ということを話してきたいと思っています。
新春セミナー 事例から学ぶ 次世代営業組織の作り方 〜なぜ、あの会社の売上は倍々で上がるのか?!〜
芋焼酎らしくないイモ焼酎で乾杯!
ここだけの話ですが、今日は誕生日でした。
本を出版するということ
社員のために仕事を確保する
統一地方選挙
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Posted by 森戸裕一 at 23:23│Comments(0)
│雑感
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