『楽して儲ける』という意識の裏には何があるのだろうか?

森戸裕一

2010年02月27日 21:54

仕事ってのは何なのだろう?

私もたまに考えることがあります。


生活の糧

とだけ考えるには非常に重くて、人によっては命を懸けて仕事にとりくんでいます。

警察官、消防士

など公務員なので給料などはそう高くはないでしょうが、自分の命を懸けて毎日の仕事に取り組まれています。

また、医者のように生死の境をさまよっている人の命を救う職業の人たちもいます。


オリンピックをみていても、職業としてスポーツというものを選択して国民の期待というプレッシャーと自分の限界にチャレンジしている、ひとりの人がいます。

その人たちは、なぜ、その職業を選択したのでしょうか?

別に特別な思いでそのスポーツという道を選択した訳ではないのかもしれませんが、今を必死に生きています。



楽して儲けたい

個人の考え方なので、その考えについては私も意見する立場にはありません。


ただ、仕事というものが楽するための手段であるのであれば、その人は最終的に何を成し遂げたいのでしょうか?


自分らしく生きたいのか

自分が世の中に存在した証(あかし)を遺したいのか


人それぞれの考え方があると思いますが、自分に関係した人たちには自分の思いを理解してもらいたいと誰しも思っているものだと考えています。


人はいつかは、この社会からいなくなる存在です

そのいなくなるときに自分がいなくなっても自分の思いだけは遺る

という感覚が持てれば未練というものも少しは薄くなるのでしょう。


情報化

というのは、ある意味、人類のとってのパンドラの箱みたいなもので、人口と仕事とのバランスを悪くするもののようにも感じています。

今までの時代に主流だった仕事がどんどん無くなってきている

というは必然で、そのようなことが起きなければ情報化は進んでいないことになります。


その情報化はオープン化、クラウド化で価格破壊的な動きも見せてきました。

今まで頑張ってきたIT関連の仕事も全体的な仕事量は確実に減ってきています。


そして、世の中では社会起業的な仕事が注目を浴びてきています。

収入は減っていきますが、それでも働きがいというものにフォーカスが向けられています。


物価が全体的に下がって、人間が移動して仕事や観光をしないでもよくなり、お金は使わなくてもよい時代になって、そんなに頑張って仕事をしなくても生きていけるようになるのかもしれません。


それぞれの時代で人が感じる楽しみは違ってきます。

ただ、今の時代はまだまだ資本主義の競争社会なので、やはり生き抜くためには社会に仕事で認められる、競争が発生した場合には勝ち抜くということが求められます。

勝ち抜きながらも次世代を見据えて競争相手とも共存する

ということを考えると、見えないものが見えるかもしれません。




関連記事